ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

「言語化のスタートライン」の言語化


滝口です。

言語の交換によって社会というものが成り立っている以上、その社会を生きていくためには言語を保有し、それを自分の思うように操作できなくてはならない(①)。

差異の交換によって現在の資本制社会というものが成り立っている以上、その社会を生きていくためには、差異ある言語=自分発のオリジナルな言語を獲得し、それを操れなくてはならない(②)。

居場所スタッフが行っている言語化支援には、上の二つの位相の異なる言語化が含まれるのではないかと思う。前者(①)に関しては、感情の言語化が、後者(②)に関しては、メタ視点の内面化が、それぞれ有効であると思う。

感情の言語化とは、自らの思いや感情を思うさまはきだすこと。「本音で生きてください」というやつである。誰かが思うさま本音をはける場とは、本音をはきだしやすい環境を誰かが(こっそり)構築しているような場である。スタッフの役回りはそこにある。

メタ視点の内面化とは、あまたある言語体系のなかで自らの言語がどのような位置や価値を占めるのか、どういう位置取りをすれば自分の言語が誰かにとっての価値を有するのか等に関する、距離化された自己認識のまなざしを自らのうちに埋め込むことである。

後者であるメタ視点=自己批評のまなざし、あるいは「行為と人格を分けて考える作法」を身につけるには、論理的基準に基づいた言語交換のトレーニングを徹底的に繰り返すしかない、と思う。その訓練法のひとつが、読書会である。

なんだよ、結局そっちにもっていくのかよ。というツッコミはさておき、前者の感情の言語化については、愛さんが専門なので、自分は後者のメタ視点の構築について、ぷらほなりの専門性を理論的にも実践的にも積み上げていかなくちゃと思っているわけです。がんがれ漏れ。