ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

 「ドキュやま!」最新号ktkr!

山形国際ドキュメンタリー映画際事務局が隔月で発行している広報誌「ドキュやま!」を、事務局スタッフのKさんがぷらほへ届けて下さいました。ドキュやまを差し出すなりKさんは「裏から見て!」と言うのです。なになに?と読んでみたところ、なんとぷらほが取り組んだ「ひめゆり」上映について書かれているではありませんか!素敵な文章だったので、転載させていただきます(ご本人の了承済み)。



「映画の都」を作るいくつかの方法

山形映画祭事務局日誌 事務局長 高橋卓也氏


「ホンキで山形を映画の都にする工夫と実践」について、今回は、その基本中の基本を提案したい。それは、まず自らが作家や作品を探す観客となること。
乱暴だが、分かり易く映画の流通を4つに分けてみると、製作、配給、上映、鑑賞となる。まず、作品を創る人たちがいる。その作品の存在を世の中に知らしめ、地域や映画館に流通させる人たち。また、作品と人を具体的に出会わせる映画祭や映画館や自主上映の主催者たちがいる。そうした場を得てやっと作品は観客と出会う。そして、観客の入場料は、場を作った人たちを経て、配給者や製作者に還元され、やがて制作費回収や映画の再生産に繋がる。作品が芸術であれ娯楽であれ、劇映画、ドキュメンタリーかを問わず、この循環は殆ど変わらない。
ある日、ある人が、映画祭事務局にやって来た。その女性は、この映画、山形で上映されないの?すごく観たいんだけど、どうやったら観れるんですかねと、私に一枚のチラシを差し出した。
答えは簡単だった。「君が上映すればいいんだよ」それは、私がいったというより、彼女のストレートな情熱が私にいわせた言葉だったと今は思う。彼女は、去年、映画祭会場の片隅にあったチラシを目に留めて家に持ち帰り、書いてあった「忘れたいことを話してくれてありがとう、忘れてはいけないことを話してくれてありがとう」という言葉を見ては、何故か泣き続けていたそうだ。
沖縄戦で散ったひめゆり部隊、生き残った方々の証言を集めたドキュメンタリー映画ひめゆり」は、沖縄戦終結の日を挟んで1週間、彼女とその熱意に動かされた人たちの手で山形市内の映画館で上映され、大成功をおさめた。
彼らは、戦争を知らない若い世代に向けた独自のチラシを創作し、毎週のように学習会を開き、今まで会ったこともない人たちに会い、磨いてきた自分の言葉を費やして映画の存在を伝えていった。いつか彼らは、観客でありながら、作り手の情熱に拮抗する優れた上映者となった。私は、実行者としての彼らに感動した。その実働は、映画の循環を生き生きと回し、作り手や配給者や映画館スタッフの心を揺さぶったことだろう。そして、彼らと同じ観客の心をも。
映画の都を作る原動力は確実にここにあると、私は肌で感じる。映画は、あなたに見出されることを待っている。
最後に、上映会場に足を運んだ私にいった彼女の印象的な言葉で締め括ろう。「上映会が始まったら自分たちの活動は終わると思ってたけど、違うんだね」


号  泣  で  す  よ  (;∀;)


併せてこれもお読みいただきたい!(しつこい)