ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

ハンナ・アーレント事前学習会その2

今週も『ハンナ・アーレント』事前学習会を行いました。
第2回のテーマは「ナチス・ドイツホロコースト」。
1939〜45年の第二次世界大戦(WW2)は、ポーランドをはじめ、欧州各国(イギリスを除く)を占領したナチス・ドイツの暴走によるもの。やがて各占領地に強制収容所が建設され(ポーランドには最大規模のものが建った)、そこで何百万人ものユダヤ人が虐殺されました。これを「ホロコースト」といいます。
ここまで、ひとまず滝口さんの解説と資料を見聞きした上で、「ここどういうこと?」と質問。


ドイツがナチス(ナチ党構成員、支持者)独裁になったわけは?
まずWW2の以前、第一次世界大戦(WW1、1914−18年)もドイツの暴走による戦争でした。ドイツは敗戦。領土、軍隊など一切を失い、またWW1後のドイツ復興の後ろ盾だったアメリカが世界恐慌(1929年)でコケたことで、国民は長いあいだ自信喪失状態に。そのときドイツ国民(主に下層の人たち)は、自信回復のため、自分たちより下位のものを求めます。そこへ、「反ユダヤ」というよそ者(移民)への差別と排除を、ナチスが持ち込みました。
WW1後、ドイツには「ワイマール憲法」という、当時最先端の憲法(女性の選挙権、社会的弱者への社会権など)が渡されました。にも関わらずナチ党総統のヒトラーが民衆にウケたのは、「経済なんとかするお!」とおいしそうな話をしたから。なので国民は「不況だけど信じてガマンすっか」となりました。しかし結局ヒトラーは、「全権委任法」を作って、ナチ党の都合のいいように憲法を変えたのでした。

なぜポーランドなど他国に収容所が建ったのか
1938年、ドイツ国内で、ユダヤ人の経営する店や住宅などを襲撃した「水晶の夜事件」が起こりましたが、その事件にはさすがにドイツ国民からも「やりすぎじゃね?」と反発の声があがりました。
しかし、国外に建つ収容所での出来事には黙殺しました。「見える場所」にあれば反応し、「見えない場所」にあれば無関心になる、ということです。

ではなぜユダヤ人が攻撃対象になったのか
ユダヤ人は、現イスラエルの地に住んでいたユダヤ教徒のことで、大昔に民族的弾圧を受け、以後欧州等の国へ散り散りに移住(※イスラエルは、WW1後に建国されたユダヤ人の国)。
欧州ではキリスト教の国がほとんどですが、キリスト教徒の就けない金貸しなどの金融業(汚れ仕事)で働いていたのがユダヤ人でした。不況でもお金を持っていたユダヤ人はドイツ国民の嫉妬の対象になり、そこに火をつけたか油を注いだかをしたのがナチ党、というわけです。
ちなみに、ユダヤ人のみならず、「ふつうのドイツ人ではない者」「国のために働けない者」(外国人労働者、障害者、同性愛者など)は迫害されたそうです。


こんな感じの講義でしたが、「じゃあ何ができるの?」「少数派になったとき、押し切られるかもしれない、流されるかもしれない」という疑問や不安も出てきました。流されないための環境・場につながることだ、という意見がありましたが、でもそれだってどうすれば?? ……などなど、最近観たドキュメンタリー映画の話から、何かが起こっているときに何を優先すべきかまで語り合った結果、「みんな、サボろうぜ!」ということになりました。


さて、次週(1/30)は「アーレントの『全体主義』」について学びます。ぜひご参加あれ!