ハンナ・アーレント事前学習会その4
今週も『ハンナ・アーレント』事前学習会を行いました。
第4回のテーマは「ナショナリズムと「アイヒマン裁判」」。
- 作者: ハンナ・アーレント,大久保和郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1969/09/21
- メディア: 単行本
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なぜイスラエルで行われたのかというと、この国は戦後作られた、ユダヤ人(母親がユダヤ教徒。またはユダヤ教に改宗した人)の国だからです。
ユダヤ人がもともと今の辺りに住んでいたのは紀元前まで遡ることになります。ローマ帝国時代、いやそれ以前からも、周辺国から迫害を受けていたユダヤ人は、「これは神の試練だ」と解釈して耐えぬいていました。しかし、やがてヨーロッパや中東などの周辺国へ散り散りに移住し(「離散、ディアスポラ」という)、そこでコミュニティを作り、「ユダヤ教」を信じることで「ユダヤ人」としてのアイデンティティを保ち続けました。
時は流れ、19世紀ヨーロッパは「ナショナリズム(民族主義)の時代」に入り、各国で革命が起こり始めます。18世紀までは「帝国(国王が少数民族を支配)=多民族国家」でありましたが、”一つの民族で一つの国を!”という「国民国家 nation state」なる考えは、フランス革命を機に広まり、被支配国の独立運動が起こりました。
ところがナショナリズムの問題点も浮上します。
それは、独立以前から住む他民族(少数民族)を取り込むものの、二級・三級市民扱いにし、権利を与えなかったこと。他民族は、税金は取られても要望は反映されなかったのです。
そしてやがて、「他民族を追放しよう」という動きも出てきました。これが「ユダヤ人迫害(ポグロム)」へとつながったのです。これは、法に基づき行われた「ホロコースト」とは別で、それ以前に自然発生した迫害です。
戦後、ユダヤ人も「ユダヤ人の国民国家を作りたい」と考え、「シオンの丘(現在のイスラエルに位置する)に戻る」と言う意味の運動「シオニズム」を始めます。
キリスト教徒は就けない金融業を受け持っていたユダヤ人には金持ちが多く、基金をつくり、土地を買っていきます。ユダヤ人の離散後、その地に住み着いたのはアラブ人のパレスチナ国(建国700年は経っている)。そこを植民地にしていたのはイギリスでした。WW2の戦勝国による国際連合は、ユダヤ人に対する負い目から、イスラエル/パレスチナを分割してユダヤ人を住ませる、言ってしまえばパレスチナ人を追い出すことになったのです。
イスラエル(ユダヤ)人/パレスチナ人が、分割され決められた土地に住むはずが、イスラエル人はすぐに武力で土地を奪い、パレスチナ人を「ガザ」や「ヨルダン西岸」へと押しやりました。今現在も、パレスチナのアラブ人の若者がテロを起こし、イスラエルのユダヤ人が武力で集落を鎮圧するという事態が起き続けています。
さて、イスラエルというユダヤ教徒の国家はできましたが、「改宗すれば誰でも(どんな民族でも)教徒になれる」うえ、各国の文化を引っさげて集まっているため、実状、多民族国家になっています。これでは「国民国家」ではありません。ではどうやってまとまるか?
それは「共通の敵」をつくること。1950〜60年代、ナチス・ドイツによるホロコーストからなんとかまぬがれた体験者は、実は同胞から「抗わなかった弱虫扱い」され、体験を語ることができませんでした。そんなときに起こったのが「アイヒマン裁判」。これが、民族あげての「お祭り」になったのです。
しかしアーレントはこの状態に異を唱え、ナショナリズムを「全体主義」ととらえたのです。
ナチス・ドイツという「全体」に迫害されたユダヤ人が、ユダヤという「全体」でパレスチナの土地を奪い、アイヒマンを裁いた。被害者は容易に加害者にまわる(被害を受けたから多少の加害は許されると考える)ことを表してしまったともいえます。イスラエル人は軍備を大きくしているそうですが、それは、土地を奪ったため周りを敵国に囲まれていると感じていたり、過去のトラウマからだったり、とにかく「不安」を紛らすためではないかと考えられています。
では、これまで学習してきたことを、現代日本に置き換えるとどういうことになるのか? それを次週(2/13)学びます! ぜひご参加ください。