ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

トーク・ライブ&ラーニング・バー


かめんぬです。
村山地域の若者交流会「第2回トーク・ライブ&ラーニング・バー」に参加してきました! 会場は前回と同じ、お好み焼きのおいしいカフェ「ブラウニーズ・ストーリー」さんです。ぷらほからは、愛ママ、ワイ子さん、かめんぬ、かやちゃん、O腹くん、スミーさん、O原さん、アナゴくんが参加しました(滝口さんは聞き手です)。

第2回目のゲストは、「3.11」以前より震災復興や地域防災の活動に継続的にとりくんでこられた「ウェザーハート災害福祉事務所」代表の千川原公彦さん。

「ウェザーハート災害福祉事務所」は、2012年に設立した防災コンサルタントです。以前は、山形県内にはまだ無かった民間の災害支援NPO特定非営利活動法人 ディー・コレクティブ」で活動。さらに前には、個人による災害支援活動と防災活動をボランティアで活動をしてきました。

支援活動に取り組むきっかけとなったのは、事故や災害に遭遇することが多く、遺体の第一発見者になることも珍しくなかったそうです。このような経験から、普段の生活の身近なところに「死」があるんだと思うようになったと、千川原さんは言います。本格的なボランティア活動は、北海道噴火災害の時。災害対応は全て行政がやるのだと思っていたが、海外では民間の団体が行うことを知り、山形で初の民間の災害支援NPOを立ち上げたのです。

千川原さんの現在の活動は、大きく分けて2つです。1つは、「被災地外」でのとりくみです。防災、訓練、講演になります。もう1つは、「被災地」でのとりくみです。仮設住宅、災害公営住宅への移動を行なっていますが、そこでは新たな自治区をつくらないといけないし、住民のストレスも課題になってくるといいます。他には、暴風、竜巻被害の支援もしています。

今回の「トーク・ライブ&ラーニング・バー」は、最初に映像を観ました。この映像は、宮城県多賀城市の震災復興映像です。震災後、テレビで流れた津波被害や震災映像を数分にまとめたものと、ツイッターの震災ツイート集でした。観ていると、当時を思い出してつらい気持ちになりました。
この当時、山形県知事は宮城県を支援するを言います。日常が混乱しているなかで千川原さんは、すぐ支援できるのか、物理的にその地域に行けるかどうか民間視点で判断し、地域ごとに色分けをしていきました。把握した後は、問い合わせが沢山きてもうまく振り分けができるようになるのです。
さらに、ボランティアをすぐ被災地に入れるかどうかの問題がありました。千川原さんは慎重派でした。なぜかというと、実際現地でご遺体を視てきたこともあり、訓練されていないボランティアの人たちは対応できないだろうというわけです。あと、受け入れ体制が整っていない状態で送り出しても、足枷になるだけなのです。

3.11以前からの「活動」は活かされたのかと問われると、ダメだったとは言いたくないが「一部分むずかしかった」と。山形県内を想定していたので、県をまたぐのは想定外だそうです。そして日本は、全国立地がわるい所でくらしていて、全世界の地震の2割が日本で起きているので、「なにが起きてもおかしくない」ということを忘れてはいけないのです。

全員が当事者になりうる状況で、災害予防のとりくみをどんな構えでいたらいいのか。大人になってからでは入りにくい。そこで子どもたちに、教育のだんかいから教えていくというのです。学校の危機管理とか、学校は避難所になるので丁寧に子どもたちと学びあうのです。実践型トレーニングとして、「クロスロード」を用いて、自分で判断し一人で動けるようにしたいと。
あとは、支援できるように町内会活動に参加し、町内にどんな人がいるのか把握する。300〜400世帯を町内会長1人に委ねていいのかというわけです。

まとめとして、100の被災地があれば、100通りの支援がある。人によって意見が分れる場面がいつだってある。自分たちの支援が正しいと押し切るのではなく、被災者の目線に寄り添え「その場で一番正しいものは何か」と判断し支援していかなければならないのです。

ここで、第1部が終了です。他にも、いろいろとお話を聴かせていただきましたが、全部は載せられません。気になるかもしれませんが、そこは参加者だけの特権ということで。千川原さん、貴重なお話ありがとうございました!



ここからは、第2部の交流会スタートです。

美味しい食べ物をいただきながら千川原さんにさらにお話を聴いたり、参加者同士で第1部のトークの感想を交わしたり、お互いのことを話したりなどなど盛り上がりました。


最後に集合写真!

皆さんお疲れ様でした!