ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

ぷらほ流「動機づけ」


愛りんです。

滝口氏が「どうしたらその相手を動機づけることができるか」というネタを振ってくれたので、釣られてみます。

滝口氏も書いている通り、ぷらっとほーむでは「指導」や「治療」はしません。しかし、それはイコール「完全放置」とは違います。そんなことをすれば、磨けば光るダイヤモンドの原石のような人材でも、私たち人間のちっぽけで視野の狭い脳みそは、たちまちのうちに無神経で無作法で想像力の欠如した立ち位置(平たく言うと「バカ」。以上、語るまでもなく滝口氏の文よりコピペ)へと流され、結果的には「異例の速さで落ちぶれる!byレギュラー」ということになりかねません。ここで滝口氏は「カウンターをあてる」ことについて述べておりますが、私は「動機づけ」という角度から、ぷらほでの関わりを書いてみたいと思います。

何かをするにあたって、それが自分の意思で決めたことであれば、例えどんなに辛かろうと苦しかろうと、なんとかやっていけそうな気がします。しかし誰かの指示であったり強制されたことであったりしたらどうでしょう。私のようなへそ曲がりな人間は、誰かに指図されれば、たちまち逆のことをしてしまいたくなります。そういえば小さいとき、友達Aから「愛ちゃん、Bちゃんと遊ばないで。」と言われ、その日を境にBちゃんとよく遊ぶようになったことがありました。なぜでしょう。それは私がただ単にへそ曲がりだからという理由だけではありません。Aの台詞のなかに「私を1番大事な友達だと思って欲しい」という企みを感じたからです。そう思うなら私にそう思わせるだけのことをしてみな、と鼻白みました。それがAと疎遠になった理由です。Aは、「誰より愛ちゃんと仲良くしていたい」という自分の要求のみを私に示し、自分は何ら努力をしなかった。相手には能動を求めるが、自分は受動的。しかもAに私の交友範囲を指定する権利はどこにもないじゃ〜ん。この一件で「その人が魅力的であれば、黙っててもその人のそばにいたくなる」ということを学びました。そして「これは他のことにも応用可能」ということに気付いたのです。

「誰かに優しくして欲しかったら、自分も周りの人々に優しくしよう」「本を読む子どもを育てたかったら、親自ら本を読もう」「勉強させたかったら、学ぶこと自体が楽しいことだと伝えよう」…例を挙げてみれば数限りありません。ここで、前述の「その人が魅力的であれば、黙っててもその人のそばにいたくなる」という文を「a、その人が魅力的であれば」と「b、黙っててもその人のそばにいたくなる」とに分けてみます。その場合、どちらが動機づけにあたるでしょう。正解はcです。という冗談はさておき、もちろんbですね。よって目的はa(魅力的な人間であること)にあたります。目的を達成させるために、動機づけをする。これがぷらっとほーむの姿勢です。例をご覧になれば、私たちスタッフがどのようなことを大切にしてメンバーと関わっているか、想像に難くないのではないでしょうか。そう、メンバーにして欲しいこと、またはこうなって欲しいと思うことがあれば、「b=動機づけ」に焦点を合わせるのです。そして私たちが最も忌み嫌う「指導」は、「a=目的」のみの関わり。「ねぇ〜みんな僕に優しくしてYo!」「本を読みなさい、本を。」「好きとか嫌いとかはどうでもいい。勉強するんだ」なんて言ってても、何ら意味がないし、さらには相手との溝を深めるだけですよ。

そして今は「ぷらほのリピーターを増やしたければ、また来たくなる居場所づくりをしよう」ということを目標として活動中です。間違っても「てめぇら、大金持ってぷらほに集合だ!」という愛りんの台詞を鵜呑みにしてはいけません。こんな(本音を含んだ)冗談、これも全て「また来たくなる居場所づくり」のための一環なのですから。