ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

「けうげ/けうくわ」という方法


滝口です。

愛たんの「その人が魅力的であれば、黙っててもその人のそばにいたくなる」を私なりにパラフレーズいたしますと、「利用者にそばにいてほしければ(利用者を動機づけたければ)、居場所スタッフ自身が魅力的であるべき」となります。つまり、私たちが状況に関与するべく働きかける対象は、「利用者=子ども・若者」それ自体ではなく、「私たちスタッフ自身のありかたや振る舞いかた」なのだということです。相手に変わってほしければ、まずは自分自身が変わらなければならないのだということですね。

当然ですが、これは「指導」でも「治療」でも「支援」でもありませんね。それらは全て対象である「利用者=子ども・若者」に直接的に関与し、彼(女)の振る舞いや行為、さらには態度や感情までをも作りかえようとします。確かにそれは「善き意図」に基づくものもしれません。ですが「善き意図」は必ずしも「善き結果」にはつながりません。むしろ現状では「指導/治療/支援という権力行使」は、それが「善き意図」に基づくがゆえにこそ、その行き過ぎへのチェックが働きにくく、極めてリスキーであると私は思います。

この「善き意図に基づく権力/暴力」の罠に陥らぬよう、私たちは「指導/治療/支援」という方法を避け、「動機づけ」という方法に照準するのです。ではこの「動機づけ」とは何か。かつて私は、居場所を「学校/病院/施設」モデルではなく、「喫茶店」モデルで構想していると述べました。喫茶店のスタッフは、そこにやってくるお客さん個々人に直接照準する「指導/治療/支援」のごとき振る舞いに及んだりはしません。それでも、人々は喫茶店という空間に癒され、そこで元気(=動機づけ)を回復して日常へと戻っていきます。

いったい何が、そこでは行われているのか。私が思うに、喫茶店にあってスタッフ側が行っているのは、あくまでお客を迎え入れる店内の環境や雰囲気などを「敷居が低い」状態に設定し、それらを維持するためのあれこれです。換言するなら、訪れたお客がそこで十分にくつろぎ、動機を回復できるような「環境管理」の部分にこそ、スタッフは照準するのだということです。現代思想研究者の東浩紀は、近代から現代にかけて変質した権力のありかたを「規律訓練型権力から環境管理型権力へ」と要約しましたが、私の考える「喫茶店=居場所」はまさに後者の方法を意図的に採用しています。

そして「環境管理」といったときの「環境」には、その居場所で通ってくる人たちを迎え入れる「スタッフ」もまた含まれます。とするなら、私たちスタッフが「環境管理」の対象として直接的に働きかけ、その内実を変革しうる(またそうすべきな)のは、まさに「自らのありかた」それ自体なのだということになりますね。多様な人々が安心して居場所を見出せるように「何でもありですよ」的な雰囲気を体現すること、欲望の減退に苦しむ人たちにも「感染」しうるような濃い「欲望」に突き動かされてあること。平たくいうと、魅力的であるべく自己を保たねばらないのだということです(そのための方法についてはまた後日)。

他者を変えていくために、まずは自分が変わっていくこと。これが、私たちの「環境管理」による「動機づけ」という方法なのですが、実はこうした発想は、私たちのオリジナルというわけではありません。教育社会学者・広田照幸の『教育言説の歴史社会学』によれば、こうした「自分が変わることで他者を変えていく」という発想は、もともとは江戸期の日本社会において一般的な発想だったといいます。江戸期とはつまり、近代教育の導入以前ですから、その近代教育(や「指導/治療/支援」)の前提である「他者に対する意図的・組織的な働きかけ」なる考えかたが日本社会に入ってくる以前だということになります。

では、江戸期に見られたという「自分が変わることで他者を変えていく」の発想は、いったいどのようなものだったのでしょうか。それには二つの系統があって、一つ目は儒教用語としての「教化(けうくわ)」、二つ目は仏教用語としての「教化(けうげ)」というもの。前者は、儒者が自ら修養を積むことで周囲に影響を及ぼすことを指し、後者は仏教徒が自ら仏の教えを修養することによって周囲の人を善に転化させることを意味していました。

これは非常に興味深い事実です。私たちが無意識に採用していた居場所の方法論は、実はこうした儒教的/仏教的な発想に基づいていたわけですね。「学校/病院/施設」モデルを避けて、居場所の空間デザインを行ったのだと先に述べました。それらは、どれも近代社会(近代教育)が/を生み出した機関であり、そのモデルです。私たちは、近代のモデルではない、それに替わるオルタナティヴなモデルを模索する中で、前近代に流通したモデルに辿り着いていたようです。「指導/治療/支援」ではなく、「けうげ/けうくわ」。たまにはこんなふうに、思想史から「居場所」を読み解いてみるのも面白いですね。


自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)

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教育言説の歴史社会学

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