ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

「幻想・妄想」に立ち向かう想像力を


愛ぼんです。

せっかく滝口氏が「あまりサボらずに更新しよう」と気合を入れているのに、こうしてサボっているとは流石だな、漏れら。ぷらほスタッフの共通理念でもある「今日出来ることは明日に延ばそう!」を素で実践している今日この頃でございます。

さて、相変わらず私はテレビっ子な毎日を送っておりますが、注目している番組の一つにNHKの朝の連続テレビ小説「ファイト」があります。主人公は高校生の女の子。友人関係のトラブルから学校に行けなくなってしまい、親に黙って学校を休んでいました。それが親に見つかりさぁ大変。動揺する両親。主人公に、「学校に行きたくない理由が言えないなら休むことを許さない!」と父親は詰め寄ります。そんな中、馬が大好きな主人公が、両親に内緒で毎朝学校に行く途中に競走馬の厩舎に立ち寄っていたことがばれてしまいます。自分たちの全く知らない主人公の世界があったことに愕然とする両親。「俺たちに内緒にしていたのだから、何かやましいことがあるに違いない」と決め付ける父親…、というのが現在の流れです。何かしら懐かしい感覚に襲われたので、よくよく考えてみると、数年前の私たち親子がした体験を思い出したからなのでした。

もう5〜6年前になるでしょうか、私が不登校をした時にお世話になった恩師から「愛ちゃんのお母さんから、体験記を書いて欲しいんだよね」と頼まれました。何でも、不登校に関する情報が盛り沢山の全国誌を作っている方に、不登校児と向き合った親の体験記を載せたいから、つてを当たって欲しいと恩師が頼まれたそう。そこでリストにあがったのがうちの母だったようです。数日後、原稿を書き終えた母が「十年近く前の出来事だから、できるだけ公正な目を持って書いたけど、愛ちゃんから見て違う部分あればチェックして」と私に見せてくれました。…読んでみてビックリ。十年たって初めて、当時、母が感じていたことと、私が感じていたこととが、大幅にズレていたことに気付いたのです。そりゃぁ親子とて別の人間ですから、考えかたや感じかたに違いがあって当然。しかし、その当時は“不登校”というものに親子で向き合ったという実感からか、「以心伝心」的な気持ちを多大に持っていたのでしょう。「分かり合っていた」という幻想が、粉々に砕け散った出来事でした。

先述の「ファイト」の親子関係しかり、私の体験しかり、とかく親は「自分の産んだ子なんだから、子どもの考えていることが分かって当然」とか、子どもの秘密を知った時「どうしてお父さん(またはお母さん)に話してくれなかったのだろう?」などと捉えてしまいがちだと感じます。そんな風に自分以外の誰かと付き合っていると、かけなければならないコストをかけないまま、互いの認識のズレが大きくなるだけではないでしょうか。

これは何も親子間にだけ言えることではありません。他にも、友達間、恋人間、夫婦間、一見何でも話し合えそうな関係性ですが、「相手はやっぱり自分とは違う人間なんだ」ということを忘れないように付き合うことが何よりも大切です。誰にだって、他人に言えないことの一つや二つあるもの。せっかくの素敵な関係性を、変な幻想や妄想で壊してしまわないためにも、想像力を働かせて行きたいものですね。