ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

「理解する」という暴力。


滝口です。

先日、たまたま隣り合わせた人たちが、「彼氏/彼女のケータイを見るか否か」みたいな話題で話していて、「そんなの二者択一的に聞くことかよ!」と軽く脳内ツコーミなどいれてしまったのですが、その人たち的には「つい気になって見ちゃうよね」とか「見られてもやましいことはないから平気だね」とか、そんな感じでございまして、思わず、脳内で開いた口がふさがらなくなってしまいました。あのー、「プライバシー」って言葉、ご存知ですか? え、「浮気するほうが悪い」? んー。浮気されたあなたに隙があったってことでは……というツコーミはさておくとして。

まあ、よその人たちの事情など知ったことではございませんから、「へー。それはたいへんだねー」とスルーしておきゃいい話題なんですが、どうもこの手のふるまいの背後には、「視えない(がゆえに不安を掻き立てる)もの」を無理やり「可視化(して安心)しよう」みたいな欲望が見え隠れしているようで、だとしたら「ケータイ覗き見るようなバカは無視」で個別特殊事例として切断操作して解決する話(そーいうバカがいるんだってさ。ぼくらには関係ないけど)ではないわけで、ちょっとだけ思ったことを書いてみます。

周知のことかもしれませんが、私は、「以心伝心」とか「心の理解」とか「相手の気持ちを考えろ」とか「空気を読め」とか、そういった、他者の内面を勝手に「理解」しちゃったり、自分の欲望を無理やり相手に強要しちゃったりする系の思考回路が苦手でございまして、そういうのを目にするとちょっとだけ反吐が出ます。なんちゃってカウンセラーの人とかに「うんうん、君の言うことはよくわかるよ」とか言われると、あまりの気持ち悪さに「あ、急用思い出したんでお先します。つーかむしろお前が帰れ」とか言いたくなります。誰もあんたらなんかに自分の内面を付託したりしてねーよ、というわけで。

いったい何に自分はこんなにもムカつくのか。それはたぶんこういうこと。自分がかつて苦しんだり悩んだり葛藤したり逡巡したりしたこと。自分でもうまく言語化できないし、ましてや他人にはなおさら容易に理解できるはずもないあれこれを、そんなに簡単にどうしてあなたは「理解できるよ」なんて言えるのか。私がさんざんコストをかけてようやく自分のうちに飼い馴らしたあれこれを、そうではないあなたがいったいどうして「代弁」してしまえるのか、と。そういう、こちら側の思いを想像することすらできていない能天気さに、そのくせ自分は「理解できる」なんて思い込んでいられる強者意識に、きっと私は吐き気を覚えているのだと思います。

事実確認をしておきます。他人の内面のことなど、私たちには理解できるわけがありません。もし仮に「以心伝心」とか「心の理解」とか「場の空気」とか「共感」とかが成立しているかのように感じられたとしても、それは単に、双方の思惑や行為が齟齬や矛盾をきたさなかったというだけのことで、だからといって「内面の一致」が存在するわけでは決してない。「えー、私たちわかりあえてるって思ってたのに、超ショック!」とか思っちゃったあなた、別にショックを受ける必要も不安を感じる必要もありません。だって、人と人とのコミュニケーションなんて、本来そんなものなんですから。

別に「理解し合って」なんかいなくたって、「同じ気持ち」でなんかなくたって、私たちは誰かとともにあることができるし、ともに生きていくことができます。「愛情」とか「理解」とか、端的に言って、気持ち悪すぎ。精神科医斉藤環が『「ひきこもり」救出マニュアル』のなかで「ひきこもり」の親に向けて「愛情よりも親切を」と語っていますが、それと同様にここでも、必要なのは「適度な距離感覚」なのです。「理解しあえない」まま、それでも完全に断絶してしまうことなく、適度な距離を保ちつつ「ともに在る」ということ。「理解し合えない」ことの不安に耐えること!

こんなふうに言うと、必ずといっていいほど「簡単にはわかりあえないからこそ、わかりあう努力が必要なんだ。もっとコミュニケーションを!」とかいう勘違い言説がまとわりついてきます。こういう粘着に足りないのは、ある種の絶望です。「きっといつか理解しあえる」なんて生ぬるい欲望を断念できていないために、「もうお前とは関わりあいたくないよ」という類の他者にさえ無神経に「理解」を強要したりしてしまう。想像せよ。といっても「相手の内面を想像せよ」とかいうんじゃありません。「他人には絶対に踏み込んじゃいけない領域があるんだ」ってことを、彼(女)は想像すべきなのです。

そう考えるなら、「コミュニケーション能力」とはつまり「わからなさ/不安に耐える力」を意味していることになるわけですね。容易に「祝祭」=「ノリのよさ」へと動機づけられがちな現在の私たちにとって、これは相当に困難な問題です。


「ひきこもり」救出マニュアル

「ひきこもり」救出マニュアル