ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

 「動物化/工学化」する制服。


滝口です。

今日から衣替えということで、道行く生徒の人たちのシャツや夏服の白がまぶしすぎの一日でした。萌えー。さて、学校の「制服」関連でひとつネタを投下いたしましょう。

県内の各高校が、生徒の制服着崩し対策に苦慮している。特に目に付く女子のミニスカート化には、短くできない工夫が施された制服の導入を検討する学校も出始めた。

ちょっと前にこんな記事を見たのですが(孫引きだけど)、これって例の「規律訓練型権力から環境管理型権力へ」を地でいくような話だよなと。生徒の人たちの「内面」に照準して、制服を自発的に「正しく」着させるというような「規律化」の形式ではなく、「内面」とか「自発性」とか「モラル」とかどーでもいいから、物理的に着崩しできないような「環境」を構築してしまえと。思想や内面がどうであれ、そんなものと関係なく、行為を制御する方法としての「環境管理」。「短くできない工夫が施された制服の導入」というのは、まさにそうした「環境管理」そのものだと思います。

てことはですよ、この「県内の各高校」は、「規律訓練」を通じた「主体」や「内面」形成、すなわち「近代教育」の方法論や物語そのものを放棄しようとしているってことになるわけで。「主体」になんかなんなくていーんだぞ/おまえらは何も考えない「動物」のままでいいんだ/外在化されたシステムがちゃんとおまえらの行為の限界を決めてくれるんだからな……ということを意味する振る舞いだということに「県内の各高校」のせんせーがたはお気づきなのだろうか。

なにより、そもそも「制服着崩し」が問題なのかどうかという点を見事にスキップして、「着崩し(・A・)イクナイ」という学校的価値(つーか一部の人々の趣味)をそのまま現実化しちゃおうという発想がすごい。技術論的矮小化。不登校を「こころの問題」に矮小化して、「スクールカウンセラー配置率」みたいな技術論に置き換える手法とも、どこか似ている。思考停止=「動物化」した教師が、「工学化」を頼りに、生徒の人たちのさらなる「動物化」を推し進めるという、動物化/工学化のループが、ここでは作動させられようとしているのである。

これって「人間に対する教育」なんかじゃなくて、「動物に対する調教」そのものじゃないかと思ってしまう。資本の望むままに消費し、権力の望むままに統治される、従順な身体。安上がりな身体。取り替えのきくシステムの部品としての生。そういうありかたを迫ってくる現状に対して、さて、わたしたちにいったい何ができるんだろうか。