ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

ありがとう/ごめんなさい

あいぼんです。
またもや書き込みにブランクが。相方のたきぐちぇは、自分のブログにしか愛着を注がないという素敵なことをやってのけます。自分の興味関心に忠実、ということにおいては似た者同士の私たちでございます。ということは、たきぐちぇ氏は自分の開設したこのブログに興味がなくなったということでしょうか。まぁそれならそうで、私がコツコツとブログジャックを続けるまでです。このブログをご覧の1763937826人の方々、たまにしか更新されないブログですが、どうか根気強くお付き合いくださいませ。

さて、私は前々から「“ありがとう”と“ごめんなさい”が言えれば、なんとか生きていける」と思い続けております。思い続けるだけでなく、数分、いや数秒に1度、この台詞を言い続けている模様。フリースペースで私からこの台詞を聞かされたメンバーは沢山いると思うし、中には聞かされ続けた結果、ぷらほに着いてすぐ「ありがとう”と“ごめんなさい”が言えれば、なんとか生きていけますです!」と敬礼をしながら絶叫するメンバーも存在するくらいです。嘘だけど。
性善説とか性悪説とか、そんなことは別として、こちら側の出かた次第では優しくしてくれる人も沢山いると思います。なにかしてもらったら“ありがとう”、なにか失敗したなら“ごめんなさい”、この姿勢が生きていく上で何より大事だと思うんです。少なくても私はこの姿勢を大事にして生きています。そして多分、この姿勢ゆえ、親切にしてもらったり、許してもらったりしたこともいっぱいあります。「感謝の気持ち」と「謙虚に謝罪する気持ち」、これをなくして豊かな人間関係など築けるでしょうか。

そんな私ですから、人と関わる中でつい、“ありがとう”と“ごめんなさい”が言える人かどうかを観察してしまいます。

先週の土曜日のことです。ぷらほを閉め、大好きなモンテディオ山形のホームゲームを観に行きました。この日は第2クールの最終日。友人から無料招待券を数枚いただいていたのですが、有効期限はその日まで。そして手元には1枚残券が。過去にも何度かこういうケースがあり、そんな時は当日券販売の窓口付近で、チケットを購入しようとしている方に譲ることにしています。情けは人の為ならず。亡くなった祖母がいつも言っていた言葉です。今回も同様、当日券売り場へ向かう人に譲ることにしました。数分待ったでしょうか。50歳位の男性が歩いてきました。私は「当日券お買い求めですか?もしよかったら招待券が一枚余っているので差し上げますよ。」と声をかけました。すると男性は「ただ?」とだけ言い、私が頷くが先か、私の手からチケットを持って去ってしまいました。過去にチケットをお譲りした際も御礼を言わず去っていく人が少なからずいましたが、今回も相当ひどいケースです。どう考えても「ありがとう」と言わないまでも「どうも」くらいあってもよさそうなものです。こんな時、私は怒ったりしません。ただ、もの悲しくなるだけです。チケットをもらったことに対して感謝せよ、などと恩を着せるつもりはないのですが、礼儀として何か一言あってしかるべきなのではないでしょうか。そういう小さな心がけが、人間関係を豊かにすると思うのに。ただただ悲しいばかりです。

二度と会わない相手だから、御礼やお詫びの言葉を疎かにしてもいい、そんな考え方をしていると、日常生活にちゃんと浸透してきちゃうんですよ、きっと。

先ほど「こんな時、私は怒ったりしません」と書きました。嘘です。真実は、先に会場入りしていた友人に経緯を話した後「あのジジイは今までの人生、いったい何を勉強して生きてきたんだ?!」などと罵詈雑言を吐いたのでした。