ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

数年前に思いを馳せる

あいぼむです。

先日、専門学校に勤めていた時の教え子Hから「Rが結婚するから、先生の住所教えてだって。招待状おくるらしいよ〜」とメールがきた。お〜、Rも結婚かぁ。ボーイッシュ(死語)な彼女も、素敵な恋をしたんだろうな。などと思いを巡らせる。Rも去ることながら、このメールをくれたHとの付き合いには、色んな思い出がある。

彼女等が高2になった時、私が担任になった。その年は、私が教員になって5年目の年。それまで、様々な生徒と関わり、いろんなトラブルと向き合ってきた。私なりに生徒との関わり方を掴んだと思っていた頃である。しかし、このHとは、どう絡んでいいか分からない。Rは、まだ幼さが残る反抗の仕方をする。こちらはまぁ、慣れたもんだ。同じレベルでカッカとしなければ、いずれ相手はクールダウンするもの。長期戦の構えだ。しかしHは、私たち教員に対してはいつもニコニコ、返事は笑顔で「はい」。化粧、制服の崩しはあったものの、こと返事に関しては模範的な生徒である。それなのに、Rとの会話となるとかなりキツい言葉遣い。と思いきやRが私に反抗している様を見ても、同調するわけでも、止めるわけでもない。我関せずとニコニコしているだけ。正直、この時のHの表情を見た私の感想は"ニコニコ"ではなく"ニヤリ"だったと思う。彼女のこのような態度は、当時の私には、かなり恐ろしかった。これならRと一緒に反抗してもらったほうが分かりやすい。一体、何を考えているんだろう?

そんな頃、夏休み前の保護者会が開かれた。全体会の後、担任と親御さんとの2者面談。1学期を振り返って、それぞれの親御さんに学校での生徒の様子を話す。一人、また一人と面談が進む。次はHの母の番だ。私は、Hの母との面談の中で、少しでもHとの関わり方のヒントを得られたら、と祈るような思いでこの日を迎えたのだ。ほんの少しでいい、ヒントが欲しい。

他の保護者と同様、Hの母にも「毎日暑いですねぇ」と話しかける。?...。表情が硬い。そういえば彼女は、去年担任だった先生や校長から、Hの生活態度に関し、こってりしぼられた経験があったようだった(担任と校長伝いの話なので、本人がしぼられたと捉えているかどうかは定かではない)。それが原因か、同じ学校の教員である私にも、相当な構えを見せている。当然だ。私もHの母なら同じだと思う。しかし、そこでひるむわけには行かない。話しをHの学校での様子に切り替えた後、「おうちでの様子はどうですか?」とつなげる。すると思いもよらない言葉がHの母から発せられた。

「私、あの子の家での様子、わかんないんです。離婚して家を出ましたので…」

"ハンマーで頭を殴られたようだ"とは、こういう時に使うんだろう。体中にガーンと衝撃が走った。学校ではあんなに明るく楽しく過ごしてたじゃないか、H!クラスメイトがわがまま言っている姿を見ても、ニコニコとマイペースだったじゃないか、H!

Hの母はその後、一通り経緯を話してくれた。「一緒に暮らしてないのに、Hは私に保護者会の案内をよこしたんですよ」と言っていたが、多分Hはお母さんに会いたかったのだろう。学校行事を理由にして。保護者会全体会から斜に構えたままだったHの母も、私の「大変でしたね…」という一言で表情を崩し、その頬を涙がつたった。

学校でのHの姿だけをみて、どうして彼女の全てだと思ったのだろう。言葉では「生徒も、それぞれ色んなことを考えている」なんて言っておいて、どうして分かったつもりになってしまったんだろう。自分の不甲斐なさに、ただただ涙が止まらなかった。

その日、Hにメールを送った。保護者会で御両親の離婚を知ったこと、その事で、相当辛い思いをしただろうということ、それに微塵も気付かなかった不甲斐ない自分のこと…。偉そうなことは何一つ言えない、ただ、色々大変なことがある中で、学校生活を楽しく送ろうと頑張っている君の姿はちゃんと見てるよ、と結んだ。

次の日、Hから返事が来た。「離婚のことは前々から予想してたことだからショックは少なかったです。学校でその事を伏せていたのは、私の家庭の事をクラスに持ち込んで、雰囲気を暗くするのが嫌だったからです。私、学校好きなんです。楽しく過ごしたいんです。こうしてメールくれる先生がいて、バカ話できる友達がいる。だから大丈夫です。」そして最後にこう書いてあった。「先生が"頑張っている姿見てるよ"って言ってくれたこと、すごく嬉しかったです」―――今思うと、あのメールは"これからちゃんと見ていくよ"と書くのが正しかったのかも知れない。なぜならこの言葉は、保護者会でHの母と話さなければ出てこなかった言葉だからである。嘘書いてごめん、H。

私はこの4年間、何を学んできたのだろう。どの面下げて"教員"を名乗っていたのだろう。本気でへこんだ。

相当辛い体験だったが、この経験がなければ、今でも「分かったふり」で生きていたであろう。相手がどんな状況にあり、どんなことを抱えているのか、想像することしか出来ない。もちろん、想像を絶する背景があるかも知れない。どんなに思いを馳せても相手を"全て解る"なんてできないんだ。その事を忘れそうになった時、必ずHのことを思い出す。自分がいかに無知で無力なのかを。

そして今、ぷらほに集うメンバー達とHを重ねる。