ぷらっとほーむの日記 ぷらほブログ

山形市・若者の居場所と学びの場づくりのNPO団体です

 ひめゆり学徒隊の動員と死亡状況

先月行われた『ひめゆり』上映会に来て下さった方の中に、「映画の最初と最後にひめゆり学徒隊の死者数が表示されたが、計算が合わない。何故か?」と声をかけてくれた男性がいました。「監督に確かめ、分り次第ぷらほブログに掲載しますね」と話したのをつい先日思い出しました。信じ難い。ということで、大変遅くなりましたがレスいたします。


映画の冒頭に表示されるのは、「1945年3月23日 米軍が沖縄本島への艦砲射撃・空爆開始 この日18名の教師に引率され222名の生徒が戦場動員された」という字幕。しかし、映画の最後で表示されるのは、沖縄戦で亡くなったひめゆりの生徒は211人 いまだ手記や証言などを残していない人は20人である」という字幕。しかもこの映画で証言してくれているおばぁの数は22人。考えてみると、確かに計算が合わないですね。

ここで確認してほしいのが、パンフレットにある注釈です↓

ひめゆり学徒隊の動員と死亡状況


沖縄陸軍病院に動員されたひめゆり学徒・教師(ひめゆり学徒隊
240人[生徒222人][教員18人]


ひめゆり学徒隊の死亡者
136人[生徒123人][教員13人]


ひめゆり学徒隊に参加せず、沖縄戦で亡くなった「ひめゆり学園」(女師・一高女)の死亡者
91人[生徒88人][教員3人]


沖縄戦で亡くなった「ひめゆり学園」(女師・一高女)の生徒・教師の合計
227人[生徒211人][教員16人]

注目してほしいのは、太字のところ。学徒動員はされなかったものの、戦争に巻き込まれて亡くなった「ひめゆり学園」の生徒たちの存在です。映画に出てくるおばぁたちは、学徒隊の死者と、学園の仲間の死者の合計211人という数をとても大事にしているそうなのです(監督・柴田昌平さん談)。そりゃぁそうですよね。学園生活を共にしてきた仲間の死を、学徒動員されたかどうかという基準で分けることなんかできません。この件については、私も気になっていたので、柴田さんのお話を伺い、すとんと腑に落ちました。


説明は以上です。お分かりいただけましたでしょうか?上映会場でお声掛けくださった方が、ここを見てくれていることを願います。遅くなって本当にごめんなさい!